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恐ろしい強姦裁判(2)   (備忘メモ用)

ろしい強姦裁判(1)からの続き

(2) 犯行場所について

 犯行場所は、被告人方の被害者の部屋で、被害者の部屋の隣は、被告人の実母や被害少女の兄がいて叫び声を上げられれば犯行が発覚するため、弁護人は、そういう場所で犯行に及ぶ事はありえないと主張した。
 大阪地裁は、その主張に対し、疑問に思われなくもないが、被告人の実母は高齢で耳が遠く、テレビがつけられ、被害少女の部屋の入り口扉は閉められ、 2つの部屋の間には押し入れがあって、ある程度音は遮断されていたから、強姦に及ぶことがありえない状況であったとまでは言えないと認定した。
 加えて、被告人は毎晩のように晩酌をしていたため、酔った勢いでこのような大胆な行動に出た可能性も十分あり得るとする。
 被害少女は、最初の強姦被害の際、「痛くて泣き叫び」と供述している。
 判決文からは明らかでないが、裁判所による現場検証は行われたのであろうか。
刑事事件では、捜査段階で、警察官による詳細な実況見分調書が作成され、裁判所による現場検証はほとんどなされていない。裁判所は、現場検証に消極的である。現場検証を行うと、裁判所書記官がその検証調書を作成しなければならず、仕事が増え嫌がるからである。 
 本件においては、被告人が否認しているのであるから、隣室で被害者の泣き叫ぶ声が聞こえるかどうか現場検証を行う必要があったのではないか。
     再審判決では、家族が居る隣室で本件強姦被害が行われたことの不自然さを判示しているが、すでに検察官が無罪論告をしており、再審裁判所が独自に評価しているとは言い難い。

(3) 最初の強姦被害時期について

  被害少女は、平成20年10月7日付検察官調書の中で
 「最初に強姦されたのは小学校6年生になった平成17年のことで、知人の結婚式の翌日、平成17年11月21日のことであった。・・・・その日の夜パンツに血がついていたのでナプキンをつけた。私は小学6年生の10月頃から生理が始まっていたが、普通生理は1週間くらい続くのにその血はすぐに止まったから「生理じゃなかったのかな。おかしいな。」と思った、と供述した。
 ところが、 5日後の平成20年10月12日付検察官調書では
「警察の捜査で知人の結婚式が平成17年ではなく平成16年であったことが明らかになり、それならば平成16年の小学校5年生の平成16年が正しい。私の記憶では、小学校高学年頃という記憶があったから、最初17年と話した。・・・最初に強姦された時に血が出たので生理かなと思ったけど、一日で終わったから違うかなと思ったことは事実である。」と供述している。
 
 弁護人は、最初の強姦被害の時期を1年まちがえていたことについて、そうであれば被害当日の出血について小学校6年生10月ごろに始まった生理かと思ったとの説明がつかない、と主張した。
  これに対し、裁判所は、被害少女は、結婚式の翌日ということから記憶を喚起して、この点は一貫している。たまたま結婚式があったのが平成17年なのか16年なのかという点に錯誤があったに過ぎない。小学校5年生と6年生とでは担任の先生もクラスの人も同じであったから混乱していたと説明し、この説明は充分納得しえるものである、と判示している。

 しかしながら、本件は、学校のクラスの中での出来事ではない。初めて強姦の被害を受けたのに 1年時期を間違えたということ自体、信用性に疑いを挟むものなのに、その錯誤の理由がクラスが2年間同じだったからというのは、理由になっていない。
 加えて、裁判所は、強姦被害の出血の点について、被害少女は小学校6年生の秋の事であるとの前提で供述していたため、上記のような供述がなされたに過ぎないものと推測するのが最も自然な理解であり、・・・何ら不合理なものではない。・・被害少女の供述の変遷は、基本的信用性に影響を及ぼすような性質のものではないと解される。」と判示している。

 しかしながら、被害少女は、最初の被害を受けた時期を、「小学校6年生の時」と結び付けて記憶していたのではなく、「結婚式の翌日」と記憶していたのであり、結婚式の翌日は小学5年生の時であるから、被害当日の夜の出血につき、生理が始まってもいないのに「生理かな」と思うはずはなく、それ自体供述の信用性を大きく減ずるものと言わなければならない。
 しかし、裁判所の判断は、被害少女の供述を前記の通り、つじつまが合うように合うように解釈して、その信用性を維持しようとしている。
 なお、目撃者である被害少女の兄の目撃時期も、被害少女と同様に平成17年から平成16年に変遷しているが、裁判所は、これについても、「兄は時期を明確に記憶していたわけではないから、この点に関し被害少女供述の変遷と同様の変遷があったとしてもさほど大きな問題ではない」と判示している。
 しかし、被害者の供述と目撃者の供述は、独立して別々にその信用性を評価されるべきものである。被害者が供述を変遷させ、同様に目撃者も同様に供述を変遷させたというのであれば、捜査機関において、つじつまが合うように供述を合わせたことがうかがえるのであるから、それ自体信用性を減ずるもので、その点についてさらに究明する必要があったにもかからず、「大きな問題ではない」と安易に切り捨てている。
 本件では、冒頭で述べたように、最初から被害少女に嘘を言う理由はなく、被告人は養父という立場を利用して幼い養女を強姦したもので許されない、との正義感から、被害少女の供述の食い違いについて、つじつまが合うように解釈していたとしか思えない。
 他方、「被告人の否認供述には、被害少女供述に疑問を挟む程度の信用性すら認めることはできない。」と断ずる。

(4) さらに、被害少女は、本件告訴後にPTSD (心的外傷後ストレス障害)を発症したが、これについて、弁護人は、被害少女が嘘の供述をして被告人が逮捕されたことから被害少女に精神的ストレスが生じた、と主張した。

 これに対し、裁判所は、「被害少女は、誰にも打ち明けられないまま、被告人から長期間にわたり強姦などの性的な被害を受けていたからこそ、その被害を周囲の者に打ち明け、それが捜査の対象になるに及び、一気にこのような深刻な症状が現れ出たと解するのがはるかに自然である。その意味で、上記PTSDの発症は、被害少女の供述の真実性を強く裏付けるものがあると評価することができよう。」と判示している。
 裁判所は、そのように診断する精神医科学の知見を持っていたのか。上記の通り、被害少女が嘘を言うはずがないとの思い込みから、専門的知見の裏付けがない単なる素人診断をしているに過ぎないのではないか。

(5) 被害少女が、被害後、一度被告人方から叔母方へ移り、その後被告人方へ戻ったことについて

 また、被害少女が、平成19年に一度叔母方で寝泊まりするようになったとき、被害少女が再び被告人宅に戻ってきたことについて、弁護人は強姦の被害にあった家に戻ることなどありえないと主張したのに対し、裁判所は、被害者が被告人から頻繁に強姦されていたというわけではないのであるから、強姦被害がありえなかったのとは言えないことは明らかである。」とした。
 しかしながら、裁判所は「被害少女は、被告人のことで自殺をしたくて気持ちがいっぱいいっぱいになっていた」と認定しており、それなのに「頻繁に強姦されていたのでないから」といって、被害少女が強姦犯人の被告人のもとに自主的に戻るというのをおかしいわけではないと評価するのも信じがたい。裁判官は、なにか、人間についての根本的な理解が欠けているのではないか。

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