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恐ろしい強姦裁判(3)  (備忘メモ用)

ろしい強姦裁判(2)からの続き

(6)被害少女の供述態度

  また、確定審の大阪地裁は、被害者の供述態度は極めて真摯なものであったと評価できるとしている。
 すなわち、証人尋問の前日は緊張のあまり十分に寝られず、緊張感から途中で体調を崩しながらも、涙ながらに辛い過去の出来事をありのまま記憶のままに供述するなど、精一杯誠実に応答していた、と認定している。
  客観的に見てみれば、仮に被害者がそのような供述態度に出たからといって、どうして  「過去の事実をありのまま記憶のままに供述する」と言えるのか。それ自体論理的に矛盾している。必要なのは、供述された過去の事実の裏付けである。
 涙ながらに供述すれば、過去の事実をありのまま記憶のままに供述したことになるのか。
 そんな、テレビドラマではあるまいし、こんな事で供述の信用性を判断されたら、「役者」が勝訴するということになる。世の中には、裁判所に生まれて初めて出廷して、緊張の余り全く証言できない人もおれば、裁判慣れして、極めて自然に穏やかに嘘を言う証人もいっぱいいる。これで、判断されればたまったものではない。
 高等裁判所では、直接証人尋問を行うことはほとんどなく、証人の供述態度については、地方裁判所の認定を鵜呑みにするしかない。そして証人の供述態度を根拠に証言の信用性を判断する。
 しかしながら、これは極めて危険な事実認定の方法である。これについて、高等裁判所のある裁判官は、「例えば、おどおどしているとか、汗をかいているとか、ドギマギしているとか、そういうところを見て供述の信用性が判断できる。」と言っている。
 本件でも見られるように、嘘を言うはずがない証人であれば、どういう供述態度とっても、真摯な態度と認定されてしまう。法廷の態度だけで、証人の人間性や証言の信用性を判断できるというのは、裁判官の事実認定に対する驕りである。
 三宅正太郎裁判官は、「裁判の書」で、大岡越前守であったか、証人尋問の際はふすまを隔てて証人の容貌や態度が見えないようにして尋問を行ったことが挙げられている。これは、証人の容貌や態度で偏見や先入観を持って尋問を聞き、証言の信用性を判断することが事実認定において誤った認定をしてしまうという事実認定に対する謙虚さの現れである。
 三宅正太郎裁判官も、この逸話をことさら取り上げていたのは、事実認定の難しさを十分に承知して、謙虚な態度で事実認定を行う必要があると考えていたからである。
 前記のような高等裁判所裁判官の話は、珍しい話ではなく、ほとんど多数の裁判官の考えでもある。そして、第一審中心主義を強く主張し、高等裁判所で弁護人からの証人申請を認めることはほとんどない。こういう実務が、今回のような冤罪事件を生み出した背景にある。

 

(7)上訴審の処理

 このように 本件では、事後審である大阪高等裁判所も、大阪地裁の判決を何ら不合理な点はないとして是認している。  高等裁判所のチェック機能が全く働いていない。
 最近は、札幌高等裁判所でも、第1回公判期日に即決で判決するのが多く、弁護士会でも問題になっている。裁判所の内部の風潮として、「記録は全部見た。何の不自然不合理な点はない。」と地方裁判所の判決自体で顕著な不合理さがなければ、それ以上、証拠と照らし合わせて、地裁の事実認定が適正であるかどうか検討していないのではないか。
 時々出される高等裁判所での原判決破棄というのは 、第1審判決後に被害弁償したとか、刑事訴訟手続に細かい誤りがあったとか言うようなものである。事実認定が見直されるのはあまり無いのではないか。
 加えて、最高裁判所の信用性評価に対する考えである。平成24年2月13日第1小法廷は、「控訴審における事実誤認の審査は、第一審判決が証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理的、経験則等に照らして不合理と言えるか」という観点から行うべきものと判示している。
 そして、白木裁判官の補足意見は「裁判員裁判の下では、裁判員の様々な視点や感覚を反映させた判断となることが予定されている。そこで、裁判員裁判においては、ある程度の幅を持った認定、量刑が許容さるべきことになるのであり、そのことの了解なしには裁判員裁判は成り立たないのではなかろうか。裁判員制度の下では、控訴審は、裁判員の加わった第1審判断を出来る限り尊重すべきである 。」と述べている。高等裁判所のある裁判官も同じ見方をすべきだと述べている。
 しかしながら、裁判員裁判ができたのは、公判審理が形骸化しているため、「素人の様々な視点からの判断をすべきだから」というのは、その通りであるが、それはあくまでも、そのような方法が事件の真相究明に迫ることができ、処罰を受けるべきものが処罰を受け、無実の者が処罰されて冤罪を出さないようにとの目的からである。
 真相究明を脇において、第1審の判断を尊重するというのは、裁判員制度を尊重するあまり、本末転倒の考えと言わなければならない。
 それでも、現実には大多数の裁判官の判断はこのような本末転倒した過度の第1審尊重主義になっているきらいがある。いったい誰のための訴訟制度なのか、目的を見失っている。裁判員のためではない。被告人となるかもしれない国民のためである。
 いずれにせよ、現在の訴訟手続きでは、高等裁判所や最高裁判所に事実認定について誤りを正すために上訴するというのは、ほとんど効果を期待できないシステムとなっている。

(8)感想

 同時に、担当裁判官は、長い刑事裁判の経験で、多くの不合理な否認の弁解を聴き慣れて、本件もその一つとして、真摯に被告人の弁解を聞く耳を持たなかったのではないか。経験がある故に、事実認定についての謙虚さを忘れ、自己の事実認定能力を過信していたのではないか。
 3人の裁判官が担当する高等裁判所の刑事裁判では、事後審として、第1審判決の事実認定が合理的かどうかを判断するが、これまた、第1審で、カルテの証拠調べをしていないのを何ら疑問に思わず、弁護人が申請するカルテや被害者らの証人申請の取り調べをしても同じことで時間の無駄との先入観からか必要性なしで、控訴棄却し、被告人を懲役12年の有罪に認定している。
 5人の裁判官が担当する最高裁判所においても然り。
 この1連の経過を見ていると、一旦起訴されれば、客観的証拠がなくてもいとも簡単に有罪となり、無罪とならないのが、実感をもって納得させられる。恐ろしい。
 最近の痴漢(強制わいせつ)事件においても、被害女性が容疑者から尻を触れたと大声を出して助けを求めれば、犯人とされる男性は、本件と同じく「被害者が嘘を理由はない」ことから、「尻を触ってない」ことの証明を求められる。被害女性が尻を触られたと証言し、その証言は具体的で自然であり、その証言態度も真摯であると裁判官が認定すれば、被害女性の供述が虚偽であると証明することは至難の業である。「私は、尻を触っていない。」といっても、それは弁解であり、何の証拠ともならない。自己の無実を証明するものもない。アリバイも考えられない。
証明できない。本件のような裁判官に当たれば、「被害者がうそ言うはずがない」ということで、有罪認定され無罪となる事はない。
 厚生労働省の村木さんの事件では、担当検事は、起訴され有罪となって服役し、検察庁でも組織改革が行われた。
 本件のような明らかな冤罪事件で、最高裁判所は、このような過ちを犯さないためにどんなことをしているのだろうか。
 この冤罪事件を担当した地裁や高裁の裁判官6人や最高裁判所裁判官5名は、現在もどこかで裁判をしているはずである。この結果を見て、どう考えてるのか。「被害者が嘘をいったのだから仕方がない」との思いで、今日もまた判決を出しているのだろうか。恐ろしい。

(9) 最近(平成29年6月25日現在)、マスコミでは、大阪高裁の福崎伸一郎 裁判長の判決が話題となっている。

詳細は週刊現代の2017.6.24号
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52017?page=3
 平成28年4月からから同29年6月までに、無罪6件、公訴棄却1件、刑免除1件、破棄差し戻し2件の判決を出している。
  同じ裁判官といっても、供述を裏付ける客観的証拠の有無を重視するのとしないのではこれほどの違いがあるかと驚かざるを得ない。確率論から言えば、他の刑事裁判でも客観的裏付け証拠が無ければ、同様の結論になるはずである。しかし、そういうことはほとんど聞かない。
 ほとんどは、善良な被害者が嘘を言うはずがない 、検察が組織的な十分な捜査をして起訴したのだから多分間違いはなかろう、第一審は被告人・証人の供述態度を直接見て聞いてその信用性判断をしているから間違いなかろう、との無意識の安心感から、被告人の弁解は単なる弁解に過ぎないと処理されていなければいいのであるが。
 本件再審事件が教えるところは、被告人の弁解を虚心に聞いて、どちらの供述が信用できるかと自らの事実認定能力を過信せずに、裏づけ証拠を愚直に確認することが求められているのではないか。
 もう一つは、裁判官は、本件でも被告人を懲役12年に処しているが、刑事裁判に慣れすぎて、その重み、判決を及ぼす結果の重大性の感覚が麻痺して、単なる事件処理、「1丁上がり」との感覚に堕してしまっているのではないか。
 無実の罪で無辜の人を処罰してはいけないとの緊張感があれば、当然、本件でも被害者の診断書を職権でも証拠調べすべきだった。本件ではそれがなかった。 本件のような裁判官に当たれば、逃れる術はない。何を言っても、「しかし、・・・被害者の供述は信用できないことはない。」と解釈されてしまう。高等裁判所も最高裁判所もチェック機能はなく、真相解明の期待はできない。恐ろしい。
    本件では、たまたま被害者が良心の呵責からか、告訴が嘘であったと申告したから、冤罪が分かった。そうでなければ、被告人は12年間服役するしかなかった。